【人間模様】スナック酔夢譚

人間模様

(※こちら2015年に書いたエントリの移植版になります)

先日、最近の若い男性は酒を飲まなくなったとか、なんかそういう記事を目にした。
へえ。そうなのか。
まあ不景気だしな。
しかたねぇさ。みんな貧乏だし。
しかし、酒なあ。

みなさま。お酒は好きですか。

まあ俺もそんなに毎日ガッツリ飲むタイプじゃないけど、週に一度か二度くらいは近所のバーにいったり、居酒屋にいったり、または宅飲みでビール片手にホラー映画みたりしてるんで、充分に酒飲みの範疇にすっぽりポンなわけでして。

飲まない人にはわかりにくいかも知れないけれど、楽しい時に飲む酒は甘露だ。
掛け値なしにすばらしい。
だいちゅぴ。
……一方、逃避のための酒もある。
要するにストレスやら心の痛みやら重圧から逃げる為の酒だ。
それは薬に近いものでして。
どっちがよりアル中ラインに近しいかというと圧倒的に後者なんだけど、世の中の酒飲みが何のために飲んでるかというと、やっぱ大抵は逃避のためだと思うのね。
わりとガチで。
逃避のため。
頭皮のためじゃないよ。
それ完全に育毛剤だから。
逃避ね逃避。
エスケープのほう。

今回はそんな話。

●酒とおっさんと男と女

かくいう俺も、無性に酒が飲みたくなるのは基本的には「何かしら面倒臭い時」とか「何かから逃げたい時」とかだったりする。
物書き時代は締め切りに近づくほど酒欲が高まって大変だったもんだ。
一方、ノーストレスで楽勝気分の時はまったく飲みたくならないから、やっぱ俺が酒に求めてるのは「逃げ場所」なんだろう。
あんまりいい響きじゃあないけども、事実なんだから仕方ねぇ。

で、まあ先日もなんかしらんがスゲー酒飲みたくなって、仕事が終わってからスナックに行った。

──スナック。

もはやスナックとかいう単語が出てくるといよいよ加齢臭がパない感じで申し訳ないけども、実際、男はある年齢を過ぎるといきなりスナック行き始める生き物なんだから仕方ない。
若い時はスナックとか一生いかねぇと思ってたよ俺も。でもある時いきなり「あ、スナック行きたい」ってなったもんね。
んなわけねぇと思う若い方もおられるだろうけど、10年後絶対いくから。スナック。それも一人で。んでママから変なあだ名つけられてホッコリすんだぜ。マジで。
今のところそんなしょっちゅう行くことは無いけども、オヤジ化が進行するとスナック通いのペースもきっと上がってくんだろう。

さて。
その日も俺は酒を飲みに出た。
仕事が終わって一旦は家に帰ったのだけど、何と無く人恋しいというか、酒が飲みたい気分になったのである。
まだ早い時間だったし、少し歩くけど過去に何度か行ったことがあるスナックにいこう。
美人めのママがアルバイトの女の子とふたりでやってる小さな──繁華街の雑居ビルの二階の店だ。

そうと決まれば善は急げ、だ。
手早く着替えて財布とケータイをポッケにねじ込み部屋を出た。
すっかり日が落ちた浅草の街を、上野の方向歩く。
途中ですこし雨が降った。
コンビニで傘を買って、そうして10分後に、目的の店についた。

「ああ、いらっしゃい──あしのくん」
「……こんばんは。ママ。調子はどう?」

戸枠にアクリル素材の板が嵌ったドアを開けると、寂れた……いや、落ち着いた雰囲気の店内の様子が見えた。
ディスプレイ用の酒棚と8人掛けのカウンターテーブル。
肩が開いたドレス姿のママと、それからテーブルの一番隅に、ヨレたスーツのオッサンの姿があった。
ああ、先客らしい。

「雨、降ってた?」
「降り始めたところだね。傘かっちゃった」
「あら。もったいない。忘れ物の傘なんか山ほどあるのに」

言いながら、先客とは真逆の──入り口側の端の席に着座する。
目の前に置かれる灰皿とお手拭き。

「あしのくん。おでんあるけど食べる?」
「いいね。貰うよ。もしかしてママの手作りかい?」
「ええ。そうよ。──好き嫌いあったっけ?」
「ないよ。全部食べるから鍋ごと持ってきてよ」
「よく言うわね。食細いくせに」

笑いながらタバコに火をつけ、店内を見渡す。
ふと俺の目に見慣れないものが飛び込んできた。
天井から吊るされたディスプレイ。
なにやら、邦楽の売り上げランキング的な映像が無音で流れている。
これは──。

「あら。テレビ……ん。カラオケか。入れたんだ?」
「うん。先月からね。歌いたかったらどうぞ」
「いやあ、俺は下手だからいいよ……」

店内には音量を抑えたジャズが流れている。

先客のオッサンはどうやら酒量がすぎたらしく、椅子に腰かけたまま項垂れている。どうも眠っているようだ。
お陰で──というかなんというか、ママは俺の前につきっきりで居てくれた。
マンツーマンだ。

飲み慣れないバーボンの味。

胃の腑に落ちたアルコールが血中に溶けて、ストレスが希薄になる。
重圧が消える。
ママはちょうどいい声のトーンで先回りして話題を振ってくれて、とても気分が良かった。
タバコの煙。
ジャズ。
アルコール。

先刻まで俺の中身を満たしていた遣る瀬無さはすっかりナリを潜め、目の前のママがとびきりの美人に見えてきた。

いい雰囲気だった。

うまい酒とウィットに富んだ会話。
客層を考えた塩梅のおでんは俺には少し薄味が過ぎたけど、辛口の酒に良く合っていた。
ジョン・コルトレーンのソロが心地よく鼓膜を揺らす。

ああ……。いい気持ちだ。

その時だ。
俺と真逆の席に座るオッサンが、不穏な動きを始めた。
モゾモゾとカウンターの中央部に手を伸ばすと、そこに置かれたタブレット型のサムシングを手元に引き寄せる。
どうやらカラオケのリモコンらしい。
酔夢から現実世界に戻って即歌うのか。
すげえなオヤジ。大した胆力だぜ。

「あしのくん、仕事はどう?」
「……ん? ああ、順調だよ。おかげさまで」
「おかげさまぁ? 私なにもしてないわよ」
「んなこたぁ無いさ。こうやって美味い酒飲ませてくれて、どれだけ助かってるか。ママがいなけりゃ俺、とっくに心折れてダンボールハウスの人になってるさ」
「あら。よく言うわね。じゃあたくさん還元して貰わないと……。何かつけましょうか? 高いお酒」
「ハハ。こりゃ一本とられたな」
「ウフフ」
「あはは」

ピン、と音がした。
ハウリング。
マイクだ。
見ると赤ら顔のオヤジがフラフラになりながらマイクを握っている。
ジャズの音が掻き消え、そして訪れる静寂。

やがて俺の耳に、尺八と和太鼓の音が飛び込んできた。

ドンドコドンドコ ドンドコドドド
ドンドコドンドコ ドンドコドドド
プォォォウ フォォォォ フォォォゥ
ドンドコドンドコ……

ん……なんだこれ。演歌か?
あれ、なんか聞き覚えあるなこれ……。
まあいいや。

気にせず煙草を咥えてママに向き直る。

「そういやさぁ。ママは誰かいるの? 良い人とか──」
「いやね、あしのくん。私みたいなおばさんに何言ってるのよ」
「何言ってんだい。ママは全然……」

前奏が終わる。
オヤジが息を吸い込み、和太鼓に合わせていよいよ歌い始めた。
朗々と。一点の迷いもなく。

ソーレソーレソレソーレソォォイ!
ソーレソーレソレソーレソォォイ!

●やめないかオヤジ!

もうさ、俺、最初の「ソーレ」でピンと来てたんだけども、いやまさかと思ってさ。
いくらなんでもそりゃねぇだろうと思って、こう、画面みるじゃん。
そしたらおもっきり「よっしゃあ漢唄」って書いてあってさ。
マジでビックリしたよコレ。
幾らなんでも角田はないよ角田は。
さっきまでジョン・コルトレーンだったんだから。そっから角田て。
世界観が「この森で天使はバスを降りた」と「ヘルレイザー」くらい違うんだけども。

おっとっこ! おっとっこ! つってめっちゃ熱唱してんだよオッサン。
槍モテッ! 弓モテッ! つって。

「えぇ……。マジかよ……」
「ん。どうしたの、あしのくん」
「いや。いい。なんでもない。……で、どうなのママ。良い人とか──」

崩せィ叩けィ潰せぃい
崩せィ叩けィ潰せぃい

……トホホ。
これさぁ、どうなんだろう。
別にいいんだよ、手前の金で飲んでてさ。カラオケある店で何歌おうと。自由だよ。その辺別にフリーダムでいいと思う。
驚くべくはオヤジの豪胆さというか、なんていうのこれ。
よくわかんない。怖い。オヤジ怖い。
だいたい、一人で来てるからねオヤジ。
んで他の客がママとゆるふわな大人ムードでマンツー飲みカマしてる時に嫌がらせのように深呼吸からのよっしゃあ漢唄ブッ込むって、よっぽどだよ。
しかも寝起きだからねオヤジ。もはやナチュラルに傾いてる感じ。
オヤジがママの事狙ってて、俺をトホホな気分にさせる為にカマしたとするならナイスチョイスだと思うんだけども。実際の所オヤジはもうベロンベロンでその辺の策略を巡らす判断力とかねぇだろうし、たぶん素。
素でよっしゃあしてるの。

俺もうさ。なんかちょっと「すごいな」と思ったもの。

こういう漢になりたいかというと断じてなりたくないんだけども、だけど一人でこんな場所でグデングデンになってる辺り、オヤジはオヤジで「何かからの逃避」のために酒飲んでるのは明白な訳で。
んで多分その逃避っぷりは俺よりも苛烈というか、徹底してる。
繰り返すが一人で「よっしゃあ漢唄」だよ。
仲間内の罰ゲームでも「お前ちょっとスナック行って一人でよっしゃあ漢唄歌って来いよ」つったら難易度高くて却下されるレベルだと思うんだけども、オヤジ普通にクリアしてるからね。
凄いよ。

いつしか俺の視線はママからオヤジへ。

顔を真赤にして、やや縦ノリ気味にソーレソーレしたりヨッシャァしたりするオヤジを見ながらバーボンをちびちびやりつつ、オヤジが抱えるストレスの大きさに思いを馳せた。
オヤジは何から逃げてるんだろう。
スナックで一人で「よっしゃあ漢唄」を歌わないと逃げられないレベルの重圧って、如何程のものなのか。

オヤジの背中の上に載った、目に見えない黒い錘が、すぅっと消えていくのが。
なんとなく、見えたような気がして。
俺はふむ、と頷いた。

コメント

  1. サラ番 より:

    地元のスナックに「傾奇者恋歌」を熱唱するオッサンが居るのでくそ笑ったw
    歌い終えた後にママから「最近パチンコ行ってるの?」って聞かれた後にボソッと「…もういってない」って呟いてたのが印象的。。

    • ashino より:

      サラ番さん
      チワッス!
      なにげにスナックで角田系の歌きくの多いですよね。
      一時期「愛をとりもどせ」を死ぬほど聞かされてた時期があったんですが、そこから角田化していったイメージ。
      いつもありがとうございます!