【妄想スロ台】おいらん珍道中

妄想スロ台
CA392471

 表二階の次の六畳、階子段の上口、余り高くない天井で、電燈を捻ってフッと消すと……居合わす十二三人が、皆影法師。

『吉原新話』泉鏡花,1941

●パチスロ・イン・江戸

或る晴れた日の事だ。
馬喰町に程近い問屋通り。
紋付き小袖に本多髷の男が落ち着かない様子で立っていた。
行き交う行商人や荷台を引く人足。
向かいの茶屋の軒下に腰掛けて甘味を頬張る娘達。
彼らを見やりながら、小袖の口から手を差し込んで組み、苛立ったように肩を揺すっている。
男の名は「あしの」。
今年で36になる。
先ごろ、痛風を患って隠棲を決めた父より店を譲られて以来、傾きかけた屋台骨を何とかして立てなおそうと奮戦中の、ちりめん問屋の若旦那である。
その日は越後から大量の荷が届く日だった。
その為にここ数日は家人総出で蔵の整理をしていたのだが、いよいよ当日になって店で使っている丁稚達の姿が見えなくなったのだ。
丁稚だけならいざ知らず、父の代から実質的に店を切り盛りしている番頭の姿までが見えない。
そんな馬鹿な話があるものかと、あしのは一人、憤懣遣る方無い様子で舌打ちした。
そろそろ荷が届く時間だ。
なにせ年に二度の荷降ろしである。到着する品物は膨大だ。
例え妻や父の手を借りた所で到底終わるものではない。
もう一刻もここでこうして彼らが帰るのを待っていたが、流石に痺れが切れた。
あしのは店先から此方を不安そうに見る妻に「少しその辺を見てくる」とだけ告げると、急ぎ足で花街の方へと向かった。

どうせ彼奴らの行く場所といったら、あそこに決まっている。
博打である。
近年、江戸で話題になっている「ぱちすろ」とかいうやつだ。
あしのは商人の一粒種であるせいか──あるいは生来の気質かは分からないが、極めて身持ちが硬かった。
無駄な出費は極力抑えるべきだと思っているし、家計の浮き沈みには人一倍鋭敏である。
博打など阿呆のやるものだと思っているので、先日番頭の与平に「旦那もいっちょ、つれ打ちにいきやせんか」と誘われた際も、軽蔑の気持ちしか沸かなかったものである。
ただ、興味が無いと言えば嘘になる。
何度も言うが彼は根っからの商人なので、都を行き交う人の顔色を見るのは生業の一つであり、また彼自身、巷間の流行り廃りを探らずには居られない「たち」でもあったので、此処最近耳にするようになった「ぱちすろ」というやつに関しても、無興味で居ることなど、出来なかったのだ。
──なので、花街の入り口に新しい「ぱちすろ屋」が開張したばかりなのも、しっかりと記憶していた。

口の中で怠惰な丁稚たちを罵りながら、いよいよ彼がそのぱちすろ屋「ぴーすたいる大江戸店」に到着したのは、子の刻を少し過ぎた辺りだった。

●邂逅。

初めて立ち入る賭場。
話には聞いていたが、異様な雰囲気だった。
大の大人が雁首揃えて、奇っ怪な形の匣を前に腰掛けている。
雨戸を締め切った。薄暗い店内。壁に掛けられた行灯が、男たちの顔を橙色に照らしている。
時折、老婆が何かを叫ぶ声が聞こえた。
不気味だった。

「あ、アレ!? 旦那!? 旦那ですかい!」

呼ばれて振り向くと、見知った顔があった。
番頭の与平である。昂奮で上気した顔だったが、あしのが無言で近づくと急に尻込みしたように青ざめた。

「与平! こんな所で何をしているんだ。今日が何の日か、知らない訳ではないだろう!」

一喝が店内に響いた。
思わず大きな声が出たので、台に向かう男たちのうち何人かが、面白そうな顔で此方を見るのが分かった。
急に恥ずかしくなって、あしのは与平の袖を引いた。

「出るぞ。与平。丁稚たちは何処に居る。彼奴らもどうせここにいるのだろう」
「ちょっと、ちょっとだけ待ってくだせえ、旦那。今、大事な所なんですよ……」
「馬鹿者。荷降ろしより大事な事があるか!」
「本当に! ちょっとだけ、あと一刻だけ待ってくだせえ! 大当たり中なんです!」

与平はそういって、今しがたまで彼が座っていた台を指差した。
釣られて顔を向けたあしのの目に、ぱちすろ台の姿が飛び込んできた。
あしのは、生まれて初めて、その奇異なる姿を正面から目の当たりにした。

おいらん珍道中、と書かれた木の箱。その中央に、3つの寸胴が並んでいる。
寸胴には小さな画が描かれており、今はその部分の中央に「七・七・七」が並んでる。
よく分からないが、どうやらこれが与平の言う「大当たり」らしい。
また、匣の後ろには石切場の人足を思わせる、筋骨隆々の男が、台の横に伸びた取っ手のような金物を握って、無表情で立っていた。
あしのは顔を顰めた。
一体なんなのだこれは。
全く訳が分からない。
博打などやりたいとは思わないが、あまりにも訳が分からなすぎて、悔しい事に興味をそそられた。

「なぁ。あの男は一体なのだ?」
「え。なんです?」
「その──ぱちすろか? ぱちすろの後ろに立っている男だ──。見たところ、全部のぱちすろに居るようだが……」
「ああ、りーる男ですか。丁稚みたいなもんでさ」
「りーる男……?」
「まあ、見ててくだせえ」

言うが早いか、与平は匣の前に腰掛けると、台の左側に付いた鈎状の取っ手のようなものを、握りしめた拳で引き下げた。
すると刹那の間を置いて「りーる男」と呼ばれた人足が、台の横に伸びる取っ手をぐるぐると回し始め、それと連動するように、箱の中の、絵柄付きの寸胴が高速で回転を始める。
与平はあしのの反応を探るように上気した顔を向けつつ、今度は台の下部に取り付けられた、3つの丸い出っ張りを、親指で次々に押した。
同時に、寸胴が回転を辞める。
絵柄が止まった。
寸胴の中央の図柄──すみれか、しょうぶか──淡い色の花が3つ揃った。
同時に、天井からするりと籠が降りてきて、与平は手を併せて一礼すると、その中から何かを取り出した。
紐で垂らされた籠が、するすると天井へと上がっていく。
与平の手には、四文銭が握られていた。

「なんだそれは。なぜ銭が降りてくる」
「あ。これですかい。払い出しですぜ旦那。ええと、今は四文役が揃ったんで」
「四文役……」
「花ですね。中段りーるの」
「いや、なんの事か全く理解できないが──。花が揃ったら毎回四文もらえるのか?」
「まあ。そうですね」
「なら負けなどしないじゃないか」
「いやー、でも、1げえむ回すのに一文要りますからねぇ」
「揃わない事もあるのか?」
「もちろん。今は大当たり中なんで制御で全部揃いますが」
「そんなの、この男の──」
あしのはりーる男を指差して言った。
「さじ加減ひとつじゃないか」
「いや、そんな事はありやせんぜ。ふらぐが成立しないと図柄が揃う事はないんでやす」
「ふらぐ?」
「南蛮の言葉でやす。意味はあっしも良く分かりやせんが、丸めると、ればーをおんした時にふらぐが成立して──」
「ればー? おん? それも南蛮か?」
「南蛮ですね。あー。もういいや、旦那、ちょっと隣の台で遊んでみてください。銭は持ってきてますかい?」
「ああ……まあ、あるが……博打はちょっと……」
「まあまあ、そう言わずに──。何事も物は試しって事で──」

●人生初打ち。

すったもんだの末、あしのはいつの間にか誘われるままに、隣の台に座っていた。
見上げると、台の後ろに、筋骨隆々のりーる男が無表情で立っているのが見えた。
ずっと見つめていると、りーる男がちらりとこっちをみた。目が合った。
非常に居心地が悪い。
「なんか気持ち悪いぞ……」
「すぐ慣れますよ。旦那。銭です。銭。投入口に入れてください。その、ればーの直ぐ横の……」
「ここか? 一文銭を入れればいいのか?」
「左様です。入れましたか? 入れましたね? じゃあ、ればおんしてください」
「ればおんとは、ればーを……叩けば良いのか?」
「そう。分かってきやしたね! 旦那」
「ればー……」
「おんです! はい回った」
ぐるぐると回る寸胴。
絵柄が高速で流れる。
ふんふんと、りーる男の鼻息が聞こえた。
台の中からきこきこと、金属が回る音が響く。
「旦那。ぼたんを押してください。左から順番に……」
「こ、こうか?」
乞われるままに出っ張りを押すと「ぼっ」という音と共に、左の寸胴が回転を辞めた。りーる男が回す取っ手に連動する回転が、中央と右だけになった。
「からくりか……」
「左様です。残りのふたつも止めてみてくだせえ」
あしのが中央と右のぼたんを押すと、また「ぼっ」という音と共に残りのりーるが止まった。
そうして、ようやくりーる男も動かなくなった。
どうやら、揃っている図柄はないようだった。
「はずれ……ということか」
「残念でやした」
「これで終わりか。これで一文……」
「そうでやす。まあ、まだ1ゲームだけですし。次行きましょう。次」
あしのは小袖の口から巾着を取り出した。投入口に銭を入れ、レバーを叩く。

その刹那、台の後ろから「キュイィィン」と声がした。
結構な声量だったので、思わず肩が浮いた。

「な、なんだ! 今のは……! 老婆の声だった気がするが……」
「あ、予告音です」
「予告音!?」
あしのは椅子から立ち上がって、台の後ろを覗き込んだ。
ふんどし一丁姿のりーる男の足元に、小さな老婆が座って居る。
「あ、あんまり覗いちゃダメですよ。……音屋でやす。ぱちすろの挙動に併せて色々な音をつけてくれるんですぜ」
「なぜ老婆なんだ……!」
試しにあしのは台の後ろを覗き込みながら手探りでぼたんを押し、りーるを止めた。
老婆が口に手をあてて「ぼっ」と言っていた。
停止の時の効果音らしい。
「それ、たまに『ドゥーン』って言ってとまる時があるんでやすが、結構アツいですよ」
うなずいて、あしのはさらに一文銭を追加投入する。
唾を飲み込んで、ればーをおんする。

「次回予告!」

婆様が叫ぶ。

「おおっ! 旦那! 次回予告演出でやす!」
「なんだ!? いいのかこれは!」
「かなりアツいです! あっしは学がないので数字は良くわかりやせんが……たしかこれ1/4048で成立する特殊一枚役の50%で発生した筈ですよ!」
「ドゥーン」
「あ! ドゥーン停止きましたね! これは貰ったでしょう! 旦那!」
「おお……おお……! これはちょっと……期待してしまうな……!」
「ドゥーン!」
「ああ! 第ニ停止ドゥーン! これはいよいよ激アツですよ! もしかしたら次のボタンで……ちょっと旦那、つぎの停止ちょっと心して押した方がいいかもしれませんぜ……!」
「わ、分かった。いくぞ………? せーの……そりゃ!」

止めた瞬間。
いきなり、りーる男がいままでと逆方向に取っ手を回し始めた。
高速で逆回転するりーる。
困惑するあしのの横で、与平が叫ぶ。

「でた! おいらんふりーず! うわーあっし初めてみました!」
「ふ、ふりーず? 南蛮か?」
「南蛮です。ふりーずというのはぱちすろ屈指の激アツ演出でやして……台によってはこれが起爆剤になって千両くらい出たりする事もあるとかないとか……。とにかく、これはヤバイですよ。一体どうなってしまうのかあっしにもとんと見当が付かないというか……。しかしさすが旦那。初打ちでいきなりふりーずとか、やっぱり親っさんの一粒種でやすね。旦那……。いや、あえて若と呼ばせてもらいやしょう。若の事をあっしは小さなころから見てますが、あっしは嬉しいです。こうして成長した若と一緒に肩を並べてぱちすろを打てる日のことを、あっしはどれだけ夢みていたか……」
「与平……」

りーるの逆回転の速度が徐々に遅くなる。
最初に右、そして次に左が止まった。
中央には「おいらん」と書かれた青い七絵柄が止まっている。

「おいらんぼーなすテンパイ……。これは『花遊びらっしゅ』『馴染み客らっしゅ』『練り歩きらっしゅ』の三種の特化ぞーんがセットになったぼーなすでやす……。平均期待獲得は10両ほどですが、仕様上、上乗せがかなり大きい機種なんで、事故ると閉店まで出玉が止まらないこともしばしばと言われておりやす……」

ゆっくりと真ん中の絵柄が回転する。
そうして、中央に青七がゆっくりと停止……とおもいきや、少しずれ、また戻り、少し下がり、戻り……僅かな動きを繰り返す。
見ると、りーる男が真剣な顔で、微妙な取っ手操作を行っているらしい。

「おおー。煽る煽る。はは。いい仕事しやすねぇこのりーる男」
「大丈夫かこれ。はずれるんじゃないか?」
「いやーはずれないでしょう流石に。これで外れたらお代官に訴えて良いレベルというか、ねぇ?」

行きつ戻りつ、中央の青七が揺れる。
よく耳を澄ますと婆様が「ギュゥゥン。ギュゥゥゥン。ウィィン。ギュゥゥン」と謎の効果音を付けていた。
やがて、中央のりーるが、中央に止まった。
喝采をあげようと2人の男が口を開きかけた刹那、りーる男がチョーキングのような動きでクイっとハンドルを動かし、図柄がヌルりと滑る。
結局、青七は揃わなかった。
婆が叫んだ。

「ぼっ。残念!」

暴れるあしの。
必至に止める与平。
邪悪な笑みを浮かべるりーる男。
寸胴が3つ並ぶ木枠の右下。
検定適合シールには「ニューギン」と書かれてあった。

「ふざけんなこれ。マジで期待したじゃねぇか! 帰るぞもう」
「いや、旦那。もうちょっと、もうちょっとだけ……!」
「うるせえ、暇だすぞジジイ! 来い! 働けクソッ! クソッ! 今年一番ムカついた!」
「落ち着いてください……!」
「大体これ『おいらん珍道中』ってなんだよ。おいらん要素も珍道中要素も一切ねぇじゃんか。オッパイどこいったんだよハゲ!」
「おいらんゾーン、突入!」
「うるせえ馬鹿!」
台にヒザ蹴りするあしの。
不真面目な番頭の首根っこを掴み、引きずるようにしてホールを後にする。

二百年後。子孫がニューギンの台でキレる事になるのを、彼はもちろん知らない。

コメント

  1. サラ番2万枚 より:

    りーる男…音屋の婆…

    アナログw

  2. せうぎ より:

    これ大好きです。
    また読めてうれしいです。