【スロ論】マイケル・ジャクソンとスロッター

スロ論

マイケル・ジョセフ・ジャクソン(Michael Joseph Jackson、1958年8月29日 – 2009年6月25日)は、アメリカ合衆国出身の総合芸術家歌手作曲家舞踊家平和活動家など、その活動は多岐にわたる。人類史上最も成功したエンターテイナー[1]。一般的に「KING OF POP (キング・オブ・ポップ)」「MJ」と称される。

wikipedia マイケル・ジャクソンの項より


世の中には「マイケルが好き」な人間と「知らない」人間がいるらしい。「嫌い」は存在しないのだ。んじゃ俺にとってはどうなんだというと、長いことマイケルは「黒人だか白人だか良く分からん、股間を触りながらポゥポゥ言う人」に過ぎず、そして俺と同年代に少年時代を過ごした大部分の子どもにとって、それは共通の理解だったと思う。

同年代で「昔からマイケルが好きだった」あるいは「マイケルはわたしの青春だ」みたいな事を言う人も居るんだけども、それはすなわち、親か兄弟の影響だと思う。家族が洋楽を聴く家庭で育った子はマイケルを崇拝せんばかりに愛してるし、そうじゃなかったら全く知らん。中間は存在しないか、ごく少数である。なんでそんなに二極化してるかというと、マイケルが一時期世間からめちゃくちゃバッシングされてて(よく知らない人にとっては)「変人」のイメージが付いていたからであって、その時分に音楽を吸収し始めたド真ん中の世代である我々は、自ら能動的にマイケルの曲を聞く、という選択を、そもそも与えられていなかったのである。

故に「大好き」か「知らん」か。この二択だ。

俺がマイケルの事をはじめて意識したのは1990年のこと。セガからメガドライブ向けに「マイケル・ジャクソン・ムーンウォーカー」というソフトが発売されたぜ、という記事を「ファミコン通信」誌上で読んだ時だったと思う。当時、あしの11歳。もしかしたら発売前の記事だったかもしれんので、10歳だったかも知れん。

誌上での扱いも当時はネタ寄りで、「バブルスくん」「ムーンウォーク」などの単語もこれで覚えた。確かに当時のテレビで──主にバラエティだけども、チリチリパーマで付け鼻つけたタレントが猿のぬいぐるみに「バブルスくん?」と語りかける系のネタとかを見たことがあったんで、そこで「ああ、あれはオリジナルのネタじゃなくて、モデルがあったんだなァ」みたいな感じで、ふわっとマイケルの存在を理解したように思う。

それからしばらくして、マイケルへの世間の風当たりはめちゃくちゃ強くなった。今思うと大変に可哀想なのだけども、ネバーランドから遠く離れた島国の中坊にとって、耳に入ってくる情報はワイドショーから浮き上がってくる上澄みの部分だけで、結果として「何やらマイケルという男は変態らしい」みたいな曲がった理解だけが残ったのだった。

もちろん「スリラー」「スムース・クリミナル」「バッド」「ビート・イット」「ビリー・ジーン」などの曲はその時点で知ってたのだけども「マイケルの曲」とはあんまり思ってなかった。知識としては知ってたけども、「マイケル」というキャラと「曲」は分離してる感じだ。例えばMTVとかでクレジットに「マイケル・ジャクソン」って出てると「ああマイケルか」と思って流す感じ。当時マイケルは(俺の中では)どっちかというとお騒がせタレントみたいなイメージだったので、それが偉大なキング・オブ・ポップであるとは思って無かったのだね。タレントソングくらいの扱いで流しておった次第。マジでとんでもねぇ話だけどもさ。

だので、ポップ史に燦然と輝くそれら名曲を「マイケルの曲」とは認識していなかったのである。恐ろしい話だぜ。

ゴーストすごい。スムクリすごい。

そしてあしの、高校時代。この頃になると洋楽の知識もだいぶ深まってきてて、このへんでようやくマイケルの凄さにちょっと気づき始めた。が、やっぱ依然としてバッシングは続いてたし、諸手を挙げて「マイケルすげー!」とは言いづらい環境は続いていた。

そんなときだ。試験勉強中にTVから流れる音だけに集中しておったときにすごいカッコいい曲が聴こえてきた。MTVである。めちゃくちゃ作り込んだPVで映画並みに魅せる感じの奴だったんだけども、それがマイケル・ジャクソンの「ゴースト」だった。うわ、マイケルかよ、と思うと同時に「この人すげえな」と思った。

衝撃である。

当時マイケルの姿を目にするのは本人よりもモノマネの方が多く、そしてそのモノマネといえば揃いも揃って「股間に手ェあててポゥポゥ言う」と言うものだ。猫も杓子も武器はそれしかない。ポゥ!って言えばマイケルだし。この辺はビートたけしのコマネチに近い。そのイメージだったのにめっちゃカッコいいんだよPV。たしかのポゥ!って言ってたけども、俺が思うポゥと本物のポゥは全然違った。

この辺でマイケルは「良く分からん変態」から「良く分からん凄い人」にクラスチェンジした。

んでそれから更に時を経て2001年。アメリカのロック・バンド「エイリアン・アント・ファーム」がカヴァーした「スムース・クリミナル」を聴いてるときに「これってそもそも誰の曲だったんだっけ」と思って調べて「おいこれマイケルの曲だったんかい」となったわけだ。当たり前だろがと言われるかも知れんが、その時までなんと俺は「マイケルも誰かが作ったスムースクリミナルをカヴァーしたアーティストのひとり」だと思ってたのである。

嫁がマイケルオタ。

さらに時を経る。あしの、30代後半だ。この頃になると「マイケルはカッコいいと思うんだけどよく知らない」という程度まで認識が改まってたんだけども、かといって1から学ぶのも恥ずかしく。もうこれはマイケルについてはパンドラの匣の如く、開けるな危険の紙を貼って封印しとこう……くらいの感じになっていた。諦めていたのである。

ところがだ、その頃に出会ったひとりの女性が、子守唄代わりにマイケルを聴いて育ったと豪語する根っからのマイケルオタであった。それが今の嫁である。

彼女のマイケルファンっぷりは正しくその母様から来てるのだけども、なんと1992年の「デンジャラスツアー」の日本公演を幼少期に実際に観に行った経験があったりとか。あるいは子供の頃に唯一持ってたゲームソフトがかの「マイケル・ジャクソン・ムーンウォーカー」であったりとか。あるいはすきあらば髪の毛をジャネット・ジャクソン(マイケルの妹)みたいなチリチリにしようとしたりとか(実際一回やった)、枚挙にいとまがない。一緒にいる俺も必然的に色々教えて貰うわけで、結婚する頃にはいよいよ人並みにマイケルの曲についても覚えてきた次第。

ここでようやく、俺は「マイケルが好き」な人間になったわけだ。最初にマイケルの存在を知ってから、実に20年かかった。

嫁はパチンコ・パチスロが好かん。基本的にギャンブルが嫌いなのである。夫がこういう仕事をしてるから面と向かって文句は言わないし罵詈雑言でもって消毒しようとはしないのだけども、多分俺が無関係な業界のライターだったら絶対パチンコ・パチスロを辞めさそうとしてたと思う。ゆえに一緒にパチンコ……というのはかなりハードルが高いチャレンジだったのだけども、結婚するかしないかの頃。嫁の中でもひとつの転機が訪れた。それが「人生始めてのパチンコ」だ。理由は簡単で「マイケルを題材にしたパチンコ」がSANKYOから出たからである。2017年発売。「CRF.マイケル・ジャクソン」である。

マイケルならしょうがない。

マイケルは、嫁のギャンブル嫌いを凌駕した。嫁の初打ちは確か千円だけ。5回くらいしか回らないクソみたいな台だったんで俺がタオルを投げた格好だ。それでも、画面を食い入るように見つめて何枚もスマホで写真を撮る嫁は非常に楽しそうだった。

──もし、俺があの時ストップをかけなかったら。あるいは当たるまで打たせていたら。もしかしたら、嫁に新しい趣味が誕生してたのかも知れないな、と思う。それが歓迎すべき事なのかどうかは微妙な所だけども。少なくとも、今俺がパチンコ・パチスロを打ちに行くときに舌打ちはされなかったかもしれない。

▲嫁の人生初パチンコを激写

コメント

  1. 砂金 より:

    ちわっす、あしのさん!
    ブログ更新されててハッピーっす。出来れば、、鉄拳2ndとの死闘を再アップしてくれると嬉しいっす!!あの感動を再び味わいたい。

    • ashino より:

      砂金さんチワッス!おひさっす!
      鉄拳との死闘! 懐かしい。あれ残ってるのかな……。ちと探してみます。もはやlivedoor時代の奴は完全に消失してしまっているのですが、どっかのキャッシュに残ったりしてないか確認してみやす! イエア!