尋ね人。

日常

寒い季節になると思い出す人がいる。とある、ホームレスのオッサンだ。

色んな所で書いてるんで知ってる人ももしかしたらいるかも知らんが、「Mさん」という人が過去うちの近所にいた。

最初の方こそ結構面白いオッサンだなぁと思ってたんだけども、本人が精神に何か抱えてたのか、あるいはアル中だったのか、兎に角いつのまにやらホームレスになっていた感じの人で、地域住民の助けと行政の力で一時期は社会復帰目前まで行った事もあるのに、残念な事に彼は現在、行方不明となっている。おそらくは山谷のあたりにいると思うんだけども、音信不通になってからだいぶ経つんでぶっちゃけ生死も不明だ。まあ十中八九生きてると思うけども。

実際はもうちょい若いんだけども、日々の不摂生が祟ったのか60代くらいに見えたし、それ相応にハゲた、歯が4本くらいしかない丸メガネのオッサン。餓鬼道の鬼の如く腹ばかりがぽっこりと出たわがままなボディをしており、そういう外見の変化があっという間に訪れたのを考えると、時間が経った今どんな進化を遂げてるのか実の所はよく分からん。

俺はMさんのことが嫌いじゃなかった。

まあ周りの人間も誰も嫌っては居なかったと思う。別に嫌なヤツでもなかったし、なによりおもしろエピソードには事欠かない人だったんで、むしろどっちかと言うと愛されてたように思う。ホームレス化した直後も、周りは爆笑しつつ世話してたと思う。スマホを買い与える人がいたり、食事を用意する人。あるいは仕事を世話する人もいた。俺も嫁も当時は仲良くしてたし彼が根城とする公園が近所だったのもあり、衣食住のうちの「衣」と「食」は何度か世話したことがある。

さて、彼がホームレスになる少し前の話だ。

当時どこかの工場にて日雇いの仕事をしてたMさんが、行きつけのバーに酒を飲みにきた。俺と嫁は定位置であるカウンターの一番隅っこでグラスを傾けてたのだけども、その横にドンと腰を下ろしたMさんが開口一番こんな事をいった。

「いやー! 会社の若いヤツが使えなくてよゥ! ありゃダメだ」

何やらひと仕事終えた男の顔でクダを撒きつつ、ビールを煽るMさん。温厚な彼としては珍しかった。まあ、年季の入ったオッサンが若い連中が犯した仕事上の失態を叱責したり、あるいは「近頃の若いもんは」なんてお決まりのフレーズでもって酒のつまみにするのはよく有りすぎる事だし特になんとも思わず、俺はその話に乗ることにした。

「へぇ、何があったんですか?」
「ちょっと聞いてくれよひろし。今日な、俺ァ工場の入口の清掃だったんだよ」
「うん……」
「今の時期は落ち葉が凄くてよ。風も強いし。掃除も大変じゃん。だからチームでやってたの。そしたらさー、若いやつの動きが悪くてよ」
「どんな感じで悪かったんです?」
「要領が悪いんだよナァ! こう……落ち葉を集めるじゃん? そしたら風が吹いて飛ばされるじゃん?」
「ええ」
「だからそれを何回もやるわけさ。集めて、また散って、集めて、また散って。一日やってんだもん。俺だったら半日で終わるよ」

どんな仕事やねん。と喉元まで出かかったけどグッと堪えた結果、鼻からビール出た。一日も半日も変わらねぇと突っ込みたかったけども、とりあえず深く突っ込むのは止した。

「いやー、そりゃまた……。大変でしたねぇ」
「全くだよ! マスター! お湯割り頂戴!」

M氏は年こそ食ってるけども少年のような男で、アニメや漫画、そして映画が大好きだった。音楽にも造詣が深く、話もそこそこ面白かったんでバーでは友達が多かった。その日も「どんな仕事やねん」という言葉を飲み込んだまま漫画の話をしてたのだけども、不意に話題が「永井豪」に飛んだ。デビルマンやキューティハニーなどの作者である。

「ひろしは永井豪好き?」
「はい。デビルマン大好きです。バイオレンスジャックも実家にありますよ」
「いやー! 永井豪はなぁ! オモライくんが面白いんだよ!」
「オモライくん?」
「知らない? え! 知らないのオモライくん! オモライくん知らないで永井豪を語ったらダメだよ!」
「え、そんな有名な作品なんだ……!」
「有名だよ!」
「どんな話なんですか? オモライくん」
「ええとね、コジキの小学生の話なんだけどさ、もうね、すごいんだよ!」
「コジキ……」
「そう! もう俺あれ昔大好きでさ! オモライくん! 好きすぎてオモライくんに成りたかったもんね!」

自分が実際オモライくんみたいになるのを、その時の彼はまだ知らない。

「ああ、Mさん、そういえば……。コレなんですか?」

バーの片隅に貼ってあるポスターを顎でしゃくりながら問いかけると、Mさんは照れたように笑った。そこには「チャーリーなえじかファーストライブ」と書かれてあった。どうやらMさんがこのバーでライブをやるらしい。

「うん。ライブやるの」
「これ……。チャーリーなえじか……? ってのは」
「俺の事」
「ステージネーム的な?」
「うん」
「どんな意味なんですか?」
「え!? 分からない!? 分からないの!?」
「……分かんないです」
「あー、分からないかー。ひろしでも分かんないかー! 分かると思ったんだけどなァ!」

Mさんはたまにこういうヤツになる。

「ええとね、まず俺、マサルっていうだろ? だからマチャル……チャル……チャーリー。それで、なえじかってのは、この店の常連さんの名前を2つくっつけたの。チャリーなえじか!」

何いってんだコイツと思ったけども、とりあえずそれはグッと堪えて頷く。

「いつやるんです?」
「金曜だよ今週の」
「じゃー、見に来ようかな……」
「おお! 来てくれよ!」

予告された金曜日。妻と二人でバーを訪れると、開始時間よりだいぶ前だというのにベロンベロンに酔っ払ったMさんがいた。例によって俺と妻は一番奥の隅っこ。その隣にズドンと腰を下ろすMさん。酒を飲み、ダベリ。酒を飲み、ダベリ。

「えーと……ライブは?」
「まだその時じゃねぇな!」
「なるほど……」

予定時刻を一時間ほど過ぎた頃、Mさんはおもむろに怒声を張り上げた。

わッたしゃァ、ビルのォ……お掃除、ウォウバちゃん
わッたしゃァ、ビルのォ……お掃除、ウォウバちゃん
モップウォウ……使ってェ……仕事するゥ……!

……ご存知、憂歌団の「おそうじおばちゃん」である。天地を揺るがすマックスボリュームのヴォイスで朗々と歌い上げるM氏。せめてギターでも弾くのかと思ったらアカペラであった。しかも隣の椅子に座った状態で。なんとも斬新過ぎるライブであった。

一日働いて2000イエェン!
今日も働いて2000イエェン!
明日も働いて2000イエェン……!

その後、二時間ほど店にいたけども、結局チャーリーなえじかデビューライブはその一曲でフィニッシュであった。

──ホームレスになる、数ヶ月前の。幸せなひとときである。

ついにきた目撃情報!

Mさんと音信不通になって一年が経ったある日。バーの常連の女性が思わぬ情報をもたらしてきた。近所のラーメン屋でMさんを見かけたらしい。

「えー、それMさんじゃないんじゃない?」
「ホントだって。あれはMさんだった」
「ラーメンとか食えるかなぁ……」
「いや、安いところだよ。450円のラーメン」
「いやー、俺は信じないね。それはMさんじゃあない」
「絶対Mさんだと思うけど……」
「見た目は?」
「ハゲてた。で、後ろの所だけちょっと長くて、髪の毛がクルンって。あと前歯全部なかった」

それはMさんだ。直感した。

「マスター、聞きましたか?」
「うん。それMさんの可能性高いね」
「あの辺にいるのか……。生け捕りしに行きます?」
「いやーもういいよMさんは。世話しても損するだけだよひろしくん」

マスターはMさんを死ぬほど世話していた。ある時はメシを食わせ、酒を飲ませ。仕事の世話。行政との橋渡し。身分証明書がないといえば原チャの免許を取りに行かせ、住民票がどこにあるか分からないと言えば肉親に連絡をとらせ。そのマスターをして「もういいよ」となってるのだから、後半のMさんの自堕落っぷりは目に余るものがあった。

必定、店内の話題がMさんを偲ぶものになる。

「そういえば昔、チャーリーなえじかっつってライブやってたなぁ……」
「やってたねぇ……。一曲しか歌わなかったねぇ……」
「オモライくん! っつってね。何かいってたなぁ。自分がオモライくんになるとはあの時思ってなかったんだろうなぁ……」
「ホントだねぇ……」

オモライくん! 屈託なく笑うMさん。怒声を張り上げ朗々と歌うMさん。焼きそばを差し入れると、俺は焼きそばパンが良かった! と謎にゴネるMさん。ビールを差し入れると、俺は発泡酒で良かったのに! とプンスカするMさん。こんな靴で仕事が出来るかよ! 助けを求めるような目で、悔しそうに公園の地面を見つめるMさん。

──俺は今からでも歌手になれると思ってる。

酔った勢いで「明日からストリートに立つ」と宣言したまま、何もしなかったMさん。

「……マスター、じゃあこういうのはどうです? Mさんに曲を作ってもらいましょうよ。アカペラでもいいからオリジナルの。1曲作るごとに牛丼食わすとか」
「ああ、それはいいねぇ。いい曲だったらサラダもつけちゃう」
「すっごい名曲できたらどうします?」
「いやー、ないよーそれは。でも……」

何事も、チャレンジしなきゃ始まらないわけで。浮浪者になってしまった初老のオッサンが、どんな曲を作るのか。興味がないといえばそれはウソになる。彼が今まで時間をかけてゆっくりと切り捨て続けてきたあまねく全ての物事。極限まで削ぎ落とした結果、手のひらに残った最後のものが何なのか。そのソウルを込めた歌には少なくとも牛丼以上の価値はあるだろう。

「生け捕り、いきますか?」
「そうだねぇ、元気してるのかなぁMさん……」

──店内の全員。無言で酒を飲む。年の瀬に近い或日の事だった。それ以来、俺の散歩コースは山谷方面まで伸びている。ホントに生きてりゃいいんだけども。

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